たぴろぐ
☆目指すは歌って踊る税理士☆役者をお休みして税理士試験目指してるオバチャンの個人的なつぶやきブログ モットー:「夢を叶える方法、それは叶うまであきらめないこと」
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ども~!たっぴです。
今日は都知事選があったり、大好きだった九重親方の訃報があったり、毎日毎日ホントにいろんなことがあるわ~と思うばかりでございます。
ホントにね、大好きでしたよ、千代の富士が。
子供の頃、学校から帰ると父が必ず相撲を見ていたので、一緒になって見てました。
千代の富士が引退を決めた取り組みも見てたし、引退会見は残念でならなかった…
あれから随分経ちましたが、まだ61歳。
まだ若いですよ、早すぎますよ。
残念でなりません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
さて。
前回、帰省すると書いたきりでそのままにしていました。
月が変わる前に記録しておきます。
相変わらず長いですw
自分のための記録なので、こーゆー話が苦手な方はどうかスルーしてくださいまし。
68歳の母が7月12日に腸閉塞で緊急入院となり、その週末の連休を利用して帰省しました。
電話で父からガンの疑いありって書いてあったと聞いていましたが、直接聞かないとわからん、と思ったわけです。
また、入院1週間後の19日に手術とのことで、20日まで仕事をお休みしての帰省でした。
往復高速バスの車中泊。
日曜日の朝に実家に到着し、父と弟と共に母のいる病院へ。
米子の国立医療センターです。
ワタシが生まれてすぐから幼稚園年長さんの頃まで通院していた国立病院時代とは違い、とっても立派な真新しい病院になっていてビックリでした。
ちなみにワタシは生まれつき右足が一回り大きかった(というか、右足土踏まずに妙な膨らみがあった)ため、母はワタシを何度も連れて来てくれてたんです、ここへ。
結局、ワタシは別の大学病院に転院したのですが、まさか母がここで入院するとは…って感じです。
12日の緊急入院から絶食だったみたいですが、まだまだ元気そうでした。
19日に手術なので、絶食はまだまだ続くのですが。
母からは、父と弟には頼みづらい下着類、言ってもなんだかよくわからないだろう的なミニヤカン(入院中のお茶をもらっておくのに便利)とか、買い出しを頼まれました。
こういう時に我が子が入院経験豊富な女子だと便利ですな。
帰宅後に弟から、今回の病状と手術の内容についての説明書を見せてもらいまして。
診断は「下行結腸がん」 ステージ3aとのこと。
腹腔鏡手術で行うそう。
自分が昨年、血便でた時に色々と調べていたので、少しだけホッとしました。
比較的予後の良いがんと言われているようなので、あとは手術が無事に済んでくれることを祈るのみ。
腹腔鏡手術なら患者の身体への負担は開腹手術より軽いけど、開腹よりも高度な技術が求められるものということで、それだけが気がかりでした。
最近の某大学病院の医療事故とか、これだったよな。
で、翌日は海の日。
我が家は漁師なので、港祭りに参加してました。
最近は母以外にも船に乗って手伝ってくれる人がいるので滞りなく終了し、終了後の飲み会には顔も出さないようにがんばった呑兵衛の父と共にまた病院へ。
もうね、涙が出るほど父がすごかった。
酒飲まないし、毎日足繁く母のところに通うのですよ。
食べるものもろくに食べないから、弟が「食べてくれん!!」って呆れてしまうほど。
きっと父は絶食の母を想うと食べられなかったんだと思います。
普段は酒を飲まなければよく食べますから。
父の方が心配になってしまった…
この日は母の入浴をお手伝い。
これも父や弟には頼みづらいよな~
母は最初、手術が終わってからゆっくり戻ってくればいいと言っていましたが、絶対手術前に帰るべきだと思って帰省したので、手術前でよかったわ!と。
そして19日の手術当日。
手術前に間に合うように、父と弟と3人で朝早くから病院へ。
弟はすぐに仕事へ行き、父と二人で手術室まで母を見送りました。
父は病院に毎日面会に行き、家に戻ると夜は漁に出るの繰り返しで、この日も明け方に帰宅していたので殆ど寝てませんでした。
家族待機の部屋には簡易ベッドもあり、「いいから寝なさい!」と無理やり横に寝かせまして。
手術予定時間は4~5時間。
途中、近所に住む父の姉夫婦もやってきて、あ~でもないこ~でもないと騒がしい我が一族…
予定時刻を過ぎた頃、手術が無事に終わり、麻酔から覚めるのを待っているところです、との連絡が。
ほどなく、手術の経緯の説明を聞きに、父と二人で手術室そばへ。
見せてもらった現物。
写真はありませんが、素人が見てもハッキリわかるレベルの悪性のものでした。
手術は成功し、悪性箇所と前後10cmで計20cmの大腸摘出と、付属しているリンパをゴッソリ取り除いたそうです。
それを取り出すために、へそ下6cmを開腹したとのこと。
そ~ゆ~方法があるのか~って感じです。
その物をマジマジと見つめる父の表情がいつにもなく神妙で、そばに居てあげられてよかったと思った次第です。
手術が成功したら酒を呑むぞ!と言っていた父でしたが、叔母たちが待つ部屋に戻り、すこし間をおいて一言
「今夜、海に出るぞ、20時出航。」
あらら、無理せんで~!と娘・たっぴの心の悲鳴(´;ω;`)
まぁ、さすがにショックだったみたい。
漁師歴60年の父にとって、海の上が一番落ち着くんだろうな。
その後、無事に麻酔から目覚め、HCU室へ移動となり、管だらけの母と対面。
ほんの少し話をして、父は帰宅。
ワタシはその日の夜に高速バスで東京に戻る予定だったので、出発に間に合う時間まで母のそばに。
今思えば、管まみれの母の姿を最後に東京に戻ってきたので、すぐにでもまた帰省したいところですが、仕事も試験もあるからグッとこらえてます。
その後、数日でHCU室から個室に移った母と長電話したり、父に電話するとたいてい海の上で漁真っ最中だったり、面会に行った弟から「管が外れて、個室からまた部屋も変わり、元気にスタスタ歩いてた!」とメールもらったりしてる内に、無事に明後日の8月2日に退院が決まり、ホッとしたのでした。
摘出した病巣の病理検査の結果も良かったらしい。
これの結果次第で、ステージ3bの可能性もあったので、ひとまず最初の見立て通りとなりました。
抗癌剤治療はやるのかな?と父に聞いても「聞いてない」とのことで、やはり本人に聞かねば!と思っているところです。
あ~、これからが夏本番なのに、なんとも濃厚な夏を過ごしてるな~、今年は。
ちなみに、たっぴ自身のチョコレート嚢胞の手術は10月中旬になりました。
仕事で迷惑かけたくないと思ってあれこれ入院希望を伝えたら、どえらく先になってしまった…(汗)
術前検査したのに、MRIやってから4ヶ月後とかだし、またあれこれ検査が必要なのかな?
いや~、参るわ~!!
そ~いえば。
数日前にもピアニストの中村紘子さんが大腸がんでお亡くなりになったり、今日の九重親方の話といい、最近多いな~としみじみ思ってます。
母には「孫はもう17歳だから、あと数年で結婚するかもよ~。がんばって長生きしてひ孫抱っこせんといけんよ!」と言っておきました。
どなたか娘をもらってやってくらさい(*^^*)
いや、まだいいか。
母方のワタシのひいばあちゃんはもうすぐ90歳というところで亡くなりました。
ワタシが高校入学の年でした。
今回の件で母から初めて聞いたのですが、ひいばあちゃんが70歳の時に何かの癌で手術したそうで。
今から考えると、それこそ47年くらい前の話ですよ。
ひいばあちゃんってすげー!!!
母方の祖母は50代で脳梗塞で倒れて15年以上寝たきりになり、母の妹も同じく脳梗塞で倒れて右側に麻痺が残ったものの元気に過ごしており。
母が昔、「自分の母親が倒れた年齢を越したわ~」とか言ってたくらい気にしてたのは脳梗塞。
なので、今回、高血圧の母が癌で闘病するなんて思いもよらない出来事でした。
ワタシはどうかしら?
便秘は侮れないと痛感しましたが、ワタシのチョコちゃんが圧迫してたり内臓と癒着してたりで便秘がひどいんだと思っているので、今度の手術で改善されるといいな~と期待してはいます。
普段から気をつけないとね。
ワタシよりも娘が心配。
アトピーは癌にならないとか言ってるのを見かけたことありますが、どうなんだろ?
普段の食生活とか大事にできる子になってほしいもんです。
ということで。
全く勉強にならんよ、ホント。
今日も一日、娘の志望校のオープンキャンパスに出かけたり、こうやってブログ書いてるので無勉です。
猫たちも可愛くて、毎日デロデロです。

↑ 娘の腹の上で寝るもうすぐ4ヶ月になる子猫のとら。
只今2.5kgくらい。デカイw

↑ 先住猫じょにーはもうすぐ4歳で6kg。これまたデカイwww
これでも少し減量しました。
そんな毎日ですが。
最後の悪あがきはしますぜ。
資格試験なんて興味のない母から、親戚に司法書士試験に合格した人がいるらしいとか聞かされたり。
お前は何を勉強してるのか、と初めて聞かれたので税理士じゃ!と伝えたり。
母が生きている内に官報合格しないといかんよなあ~と、改めて心に誓いました。
夏はこれから!!!
最後の最後まで、母のためにもがんばります。
今日は都知事選があったり、大好きだった九重親方の訃報があったり、毎日毎日ホントにいろんなことがあるわ~と思うばかりでございます。
ホントにね、大好きでしたよ、千代の富士が。
子供の頃、学校から帰ると父が必ず相撲を見ていたので、一緒になって見てました。
千代の富士が引退を決めた取り組みも見てたし、引退会見は残念でならなかった…
あれから随分経ちましたが、まだ61歳。
まだ若いですよ、早すぎますよ。
残念でなりません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
さて。
前回、帰省すると書いたきりでそのままにしていました。
月が変わる前に記録しておきます。
相変わらず長いですw
自分のための記録なので、こーゆー話が苦手な方はどうかスルーしてくださいまし。
68歳の母が7月12日に腸閉塞で緊急入院となり、その週末の連休を利用して帰省しました。
電話で父からガンの疑いありって書いてあったと聞いていましたが、直接聞かないとわからん、と思ったわけです。
また、入院1週間後の19日に手術とのことで、20日まで仕事をお休みしての帰省でした。
往復高速バスの車中泊。
日曜日の朝に実家に到着し、父と弟と共に母のいる病院へ。
米子の国立医療センターです。
ワタシが生まれてすぐから幼稚園年長さんの頃まで通院していた国立病院時代とは違い、とっても立派な真新しい病院になっていてビックリでした。
ちなみにワタシは生まれつき右足が一回り大きかった(というか、右足土踏まずに妙な膨らみがあった)ため、母はワタシを何度も連れて来てくれてたんです、ここへ。
結局、ワタシは別の大学病院に転院したのですが、まさか母がここで入院するとは…って感じです。
12日の緊急入院から絶食だったみたいですが、まだまだ元気そうでした。
19日に手術なので、絶食はまだまだ続くのですが。
母からは、父と弟には頼みづらい下着類、言ってもなんだかよくわからないだろう的なミニヤカン(入院中のお茶をもらっておくのに便利)とか、買い出しを頼まれました。
こういう時に我が子が入院経験豊富な女子だと便利ですな。
帰宅後に弟から、今回の病状と手術の内容についての説明書を見せてもらいまして。
診断は「下行結腸がん」 ステージ3aとのこと。
腹腔鏡手術で行うそう。
自分が昨年、血便でた時に色々と調べていたので、少しだけホッとしました。
比較的予後の良いがんと言われているようなので、あとは手術が無事に済んでくれることを祈るのみ。
腹腔鏡手術なら患者の身体への負担は開腹手術より軽いけど、開腹よりも高度な技術が求められるものということで、それだけが気がかりでした。
最近の某大学病院の医療事故とか、これだったよな。
で、翌日は海の日。
我が家は漁師なので、港祭りに参加してました。
最近は母以外にも船に乗って手伝ってくれる人がいるので滞りなく終了し、終了後の飲み会には顔も出さないようにがんばった呑兵衛の父と共にまた病院へ。
もうね、涙が出るほど父がすごかった。
酒飲まないし、毎日足繁く母のところに通うのですよ。
食べるものもろくに食べないから、弟が「食べてくれん!!」って呆れてしまうほど。
きっと父は絶食の母を想うと食べられなかったんだと思います。
普段は酒を飲まなければよく食べますから。
父の方が心配になってしまった…
この日は母の入浴をお手伝い。
これも父や弟には頼みづらいよな~
母は最初、手術が終わってからゆっくり戻ってくればいいと言っていましたが、絶対手術前に帰るべきだと思って帰省したので、手術前でよかったわ!と。
そして19日の手術当日。
手術前に間に合うように、父と弟と3人で朝早くから病院へ。
弟はすぐに仕事へ行き、父と二人で手術室まで母を見送りました。
父は病院に毎日面会に行き、家に戻ると夜は漁に出るの繰り返しで、この日も明け方に帰宅していたので殆ど寝てませんでした。
家族待機の部屋には簡易ベッドもあり、「いいから寝なさい!」と無理やり横に寝かせまして。
手術予定時間は4~5時間。
途中、近所に住む父の姉夫婦もやってきて、あ~でもないこ~でもないと騒がしい我が一族…
予定時刻を過ぎた頃、手術が無事に終わり、麻酔から覚めるのを待っているところです、との連絡が。
ほどなく、手術の経緯の説明を聞きに、父と二人で手術室そばへ。
見せてもらった現物。
写真はありませんが、素人が見てもハッキリわかるレベルの悪性のものでした。
手術は成功し、悪性箇所と前後10cmで計20cmの大腸摘出と、付属しているリンパをゴッソリ取り除いたそうです。
それを取り出すために、へそ下6cmを開腹したとのこと。
そ~ゆ~方法があるのか~って感じです。
その物をマジマジと見つめる父の表情がいつにもなく神妙で、そばに居てあげられてよかったと思った次第です。
手術が成功したら酒を呑むぞ!と言っていた父でしたが、叔母たちが待つ部屋に戻り、すこし間をおいて一言
「今夜、海に出るぞ、20時出航。」
あらら、無理せんで~!と娘・たっぴの心の悲鳴(´;ω;`)
まぁ、さすがにショックだったみたい。
漁師歴60年の父にとって、海の上が一番落ち着くんだろうな。
その後、無事に麻酔から目覚め、HCU室へ移動となり、管だらけの母と対面。
ほんの少し話をして、父は帰宅。
ワタシはその日の夜に高速バスで東京に戻る予定だったので、出発に間に合う時間まで母のそばに。
今思えば、管まみれの母の姿を最後に東京に戻ってきたので、すぐにでもまた帰省したいところですが、仕事も試験もあるからグッとこらえてます。
その後、数日でHCU室から個室に移った母と長電話したり、父に電話するとたいてい海の上で漁真っ最中だったり、面会に行った弟から「管が外れて、個室からまた部屋も変わり、元気にスタスタ歩いてた!」とメールもらったりしてる内に、無事に明後日の8月2日に退院が決まり、ホッとしたのでした。
摘出した病巣の病理検査の結果も良かったらしい。
これの結果次第で、ステージ3bの可能性もあったので、ひとまず最初の見立て通りとなりました。
抗癌剤治療はやるのかな?と父に聞いても「聞いてない」とのことで、やはり本人に聞かねば!と思っているところです。
あ~、これからが夏本番なのに、なんとも濃厚な夏を過ごしてるな~、今年は。
ちなみに、たっぴ自身のチョコレート嚢胞の手術は10月中旬になりました。
仕事で迷惑かけたくないと思ってあれこれ入院希望を伝えたら、どえらく先になってしまった…(汗)
術前検査したのに、MRIやってから4ヶ月後とかだし、またあれこれ検査が必要なのかな?
いや~、参るわ~!!
そ~いえば。
数日前にもピアニストの中村紘子さんが大腸がんでお亡くなりになったり、今日の九重親方の話といい、最近多いな~としみじみ思ってます。
母には「孫はもう17歳だから、あと数年で結婚するかもよ~。がんばって長生きしてひ孫抱っこせんといけんよ!」と言っておきました。
どなたか娘をもらってやってくらさい(*^^*)
いや、まだいいか。
母方のワタシのひいばあちゃんはもうすぐ90歳というところで亡くなりました。
ワタシが高校入学の年でした。
今回の件で母から初めて聞いたのですが、ひいばあちゃんが70歳の時に何かの癌で手術したそうで。
今から考えると、それこそ47年くらい前の話ですよ。
ひいばあちゃんってすげー!!!
母方の祖母は50代で脳梗塞で倒れて15年以上寝たきりになり、母の妹も同じく脳梗塞で倒れて右側に麻痺が残ったものの元気に過ごしており。
母が昔、「自分の母親が倒れた年齢を越したわ~」とか言ってたくらい気にしてたのは脳梗塞。
なので、今回、高血圧の母が癌で闘病するなんて思いもよらない出来事でした。
ワタシはどうかしら?
便秘は侮れないと痛感しましたが、ワタシのチョコちゃんが圧迫してたり内臓と癒着してたりで便秘がひどいんだと思っているので、今度の手術で改善されるといいな~と期待してはいます。
普段から気をつけないとね。
ワタシよりも娘が心配。
アトピーは癌にならないとか言ってるのを見かけたことありますが、どうなんだろ?
普段の食生活とか大事にできる子になってほしいもんです。
ということで。
全く勉強にならんよ、ホント。
今日も一日、娘の志望校のオープンキャンパスに出かけたり、こうやってブログ書いてるので無勉です。
猫たちも可愛くて、毎日デロデロです。
↑ 娘の腹の上で寝るもうすぐ4ヶ月になる子猫のとら。
只今2.5kgくらい。デカイw
↑ 先住猫じょにーはもうすぐ4歳で6kg。これまたデカイwww
これでも少し減量しました。
そんな毎日ですが。
最後の悪あがきはしますぜ。
資格試験なんて興味のない母から、親戚に司法書士試験に合格した人がいるらしいとか聞かされたり。
お前は何を勉強してるのか、と初めて聞かれたので税理士じゃ!と伝えたり。
母が生きている内に官報合格しないといかんよなあ~と、改めて心に誓いました。
夏はこれから!!!
最後の最後まで、母のためにもがんばります。
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