たぴろぐ
☆目指すは歌って踊る税理士☆役者をお休みして税理士試験目指してるオバチャンの個人的なつぶやきブログ モットー:「夢を叶える方法、それは叶うまであきらめないこと」
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広島の旅、2日目。
8月6日。
朝が早かった…
5時に起床し、朝食を食べ、6時40分にはホテルを出発しました。
7時ごろに平和記念式典の会場へ到着しましたが、もっと早くから祈りを捧げに来られた方々がたくさんいらっしゃいました。
席に一旦着席し、開始までの空き時間で献花を行い、再び席で待機。
8月6日はいつもなら朝から照りつける太陽の下、式典が行われることが多く、知人友人から「かなり暑いから、覚悟しておいたほうが…」と教えてもらっていたのですが、今年は朝から曇天。
時折小雨がパラつき、涼しい風が通り抜ける、といった感じでした。
待っている間、頭上にトンボが数匹。
式典に参加するかのように、どこに止まるでもなく、ウロウロとしていました。
式典が始まり、平和宣言や、子供たちの宣言を聞き、悲しいのか怒りなのかわからないものがこみ上げ、涙をしきりにこらえてました。
8時15分、黙祷。
静寂…ではなく、どこからか聞こえてくる反核運動の方たちの叫び声が、魂を鎮めるどころか騒がしてるように感じられ、被爆者の会の方から「当日は静かにして欲しい、そっとして欲しいのが本音なんだ」と言われたことを思い出してました。
せめてこの時間だけは、せめてこの日だけは…と、思わずにいられませんでした。
その後、時の首相が挨拶をはじめると、中高生を始め、大人までもが立ち上がり、手にしているカメラでバシャバシャ撮っているではありませんか。
何しに来たんでしょう、この人たち。
首相に会いに来たんでしょうか。
引率の学校の先生までもがカメラを持って立ち上がっていたので、思わずにらみつけてしまいました。
ワタシはこういう行為が許せません。
だって、おかしくないですか?
ワタシは娘に、「こういう大人にはなってくれるな、頼む」とだけこそっと伝えました。
式典では様々な人たちがおしぼりを配ったり、お水を用意したりと、世界各国から集った方々に対しての気配りをされていました。
心より感謝いたします。
なんとも複雑な思いを胸に、その後は被爆者の会の主催する「献花・献水式」に参列するため移動。
←移動する時に通った、記念碑横の献花。
←世界から原爆がなくなるまで燃え続ける炎。
献花・献水式では全国各地から団体が集い、花や水を捧げ、千羽鶴を捧げ、祈りました。
その後、一路ホテルへ。
ホテルの会議室で、被爆者の会の会長から、直々に被爆体験を語っていただきました。
それはまるで「はだしのゲン」そのもの。
地獄絵巻は、本当にあったのだ…と。
水、水、と合唱のように聞こえ、被爆した当日の夜は眠れなかったと。
求められては水をあげ、水を飲んだら死んでいく、その繰り返しだった…と。
時折、目に涙を浮かべ、死体がゴロゴロしている傍で、もらった握り飯を平然と食べられる、そんな精神状態だった…と。
死体の塊の中で真っ黒な細い腕がユラユラ伸びていて、その黒い腕が自分を追いかけてくるような悪夢を何年も何年も見続けたと。
その体験を最初は語ることがイヤで、思い出すのもイヤだったが、語っていくことのできる最後の世代だぞ、と諭され、思い切って語り継いでいくことにしたと。
しばらく元気に過ごしたが、数年前に胃ガンになり、手術をして今なお生きているんだと。
家族も皆ガンにかかり、原爆の被害は終わっていないんだと。
涙せずにはいられませんでした。
小学生の頃、何度か被爆者の方や戦争体験のお話を聞く機会がありましたが、今はそれを語る人が少なくなっています。
思い出すのもイヤになる、そんな体験を赤裸々に語っていただき、ワタシ達が今度は語り部にならなくてはいけないんだと、新たに心に誓いました。
その後、昼食をとり、再び平和記念公園へ。
記念碑めぐりをしました。
折鶴…といえば、原爆の子の像。
わずか2歳で被爆し、めだった外傷もなかったのに、白血病を患い、12歳でこの世を去った佐々木貞子さんの像です。
←碑めぐりの途中で撮影した、原爆ドーム。
その後、被爆者たちの遺骨が納骨してある原爆供養塔へ行き、そこで「この平和記念公園の下には、まだ骨が埋まっているんですよ、その上を、ワタシ達は歩いているんです」と教えられました。
衝撃でした…。
その後、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ。
そこでは、様々な方々の体験を聞くことができるようになっていました。
その後少しの間自由行動になり、夕方、とうろう流しへ。
色とりどりの手作りとうろうには、平和への願い、誓い、祈りが書かれ、川に流されていきます。
その後解散となり、夜になるまで商店街をブラブラし、再び元安橋付近へ行きました。
夜はうまく画像が取れなかったためUPしませんが、川でのライブの歌声の中、静かにとうろうが燃えながら川を流れていました。
その元安橋付近で、高校生かな、影絵の展示をしていました。
娘が食い入るように見ていました。
思わず、その様子に声をかける、見知らぬおばさま。
何かを感じたんでしょうね。
娘も、おばさまも。
早朝からの長時間、親子ですっかりバテました。
これで2日目が終わりです。
次は3日目、最終日です。
8月6日。
朝が早かった…
5時に起床し、朝食を食べ、6時40分にはホテルを出発しました。
7時ごろに平和記念式典の会場へ到着しましたが、もっと早くから祈りを捧げに来られた方々がたくさんいらっしゃいました。
席に一旦着席し、開始までの空き時間で献花を行い、再び席で待機。
8月6日はいつもなら朝から照りつける太陽の下、式典が行われることが多く、知人友人から「かなり暑いから、覚悟しておいたほうが…」と教えてもらっていたのですが、今年は朝から曇天。
時折小雨がパラつき、涼しい風が通り抜ける、といった感じでした。
待っている間、頭上にトンボが数匹。
式典に参加するかのように、どこに止まるでもなく、ウロウロとしていました。
式典が始まり、平和宣言や、子供たちの宣言を聞き、悲しいのか怒りなのかわからないものがこみ上げ、涙をしきりにこらえてました。
8時15分、黙祷。
静寂…ではなく、どこからか聞こえてくる反核運動の方たちの叫び声が、魂を鎮めるどころか騒がしてるように感じられ、被爆者の会の方から「当日は静かにして欲しい、そっとして欲しいのが本音なんだ」と言われたことを思い出してました。
せめてこの時間だけは、せめてこの日だけは…と、思わずにいられませんでした。
その後、時の首相が挨拶をはじめると、中高生を始め、大人までもが立ち上がり、手にしているカメラでバシャバシャ撮っているではありませんか。
何しに来たんでしょう、この人たち。
首相に会いに来たんでしょうか。
引率の学校の先生までもがカメラを持って立ち上がっていたので、思わずにらみつけてしまいました。
ワタシはこういう行為が許せません。
だって、おかしくないですか?
ワタシは娘に、「こういう大人にはなってくれるな、頼む」とだけこそっと伝えました。
式典では様々な人たちがおしぼりを配ったり、お水を用意したりと、世界各国から集った方々に対しての気配りをされていました。
心より感謝いたします。
なんとも複雑な思いを胸に、その後は被爆者の会の主催する「献花・献水式」に参列するため移動。
←移動する時に通った、記念碑横の献花。
←世界から原爆がなくなるまで燃え続ける炎。
献花・献水式では全国各地から団体が集い、花や水を捧げ、千羽鶴を捧げ、祈りました。
その後、一路ホテルへ。
ホテルの会議室で、被爆者の会の会長から、直々に被爆体験を語っていただきました。
それはまるで「はだしのゲン」そのもの。
地獄絵巻は、本当にあったのだ…と。
水、水、と合唱のように聞こえ、被爆した当日の夜は眠れなかったと。
求められては水をあげ、水を飲んだら死んでいく、その繰り返しだった…と。
時折、目に涙を浮かべ、死体がゴロゴロしている傍で、もらった握り飯を平然と食べられる、そんな精神状態だった…と。
死体の塊の中で真っ黒な細い腕がユラユラ伸びていて、その黒い腕が自分を追いかけてくるような悪夢を何年も何年も見続けたと。
その体験を最初は語ることがイヤで、思い出すのもイヤだったが、語っていくことのできる最後の世代だぞ、と諭され、思い切って語り継いでいくことにしたと。
しばらく元気に過ごしたが、数年前に胃ガンになり、手術をして今なお生きているんだと。
家族も皆ガンにかかり、原爆の被害は終わっていないんだと。
涙せずにはいられませんでした。
小学生の頃、何度か被爆者の方や戦争体験のお話を聞く機会がありましたが、今はそれを語る人が少なくなっています。
思い出すのもイヤになる、そんな体験を赤裸々に語っていただき、ワタシ達が今度は語り部にならなくてはいけないんだと、新たに心に誓いました。
その後、昼食をとり、再び平和記念公園へ。
記念碑めぐりをしました。
折鶴…といえば、原爆の子の像。
わずか2歳で被爆し、めだった外傷もなかったのに、白血病を患い、12歳でこの世を去った佐々木貞子さんの像です。
←碑めぐりの途中で撮影した、原爆ドーム。
その後、被爆者たちの遺骨が納骨してある原爆供養塔へ行き、そこで「この平和記念公園の下には、まだ骨が埋まっているんですよ、その上を、ワタシ達は歩いているんです」と教えられました。
衝撃でした…。
その後、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ。
そこでは、様々な方々の体験を聞くことができるようになっていました。
その後少しの間自由行動になり、夕方、とうろう流しへ。
色とりどりの手作りとうろうには、平和への願い、誓い、祈りが書かれ、川に流されていきます。
その後解散となり、夜になるまで商店街をブラブラし、再び元安橋付近へ行きました。
夜はうまく画像が取れなかったためUPしませんが、川でのライブの歌声の中、静かにとうろうが燃えながら川を流れていました。
その元安橋付近で、高校生かな、影絵の展示をしていました。
娘が食い入るように見ていました。
思わず、その様子に声をかける、見知らぬおばさま。
何かを感じたんでしょうね。
娘も、おばさまも。
早朝からの長時間、親子ですっかりバテました。
これで2日目が終わりです。
次は3日目、最終日です。
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