たぴろぐ
☆目指すは歌って踊る税理士☆役者をお休みして税理士試験目指してるオバチャンの個人的なつぶやきブログ モットー:「夢を叶える方法、それは叶うまであきらめないこと」
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ホットジェネレーション公演の帰りに、ゆうぽうとの2軒隣にある「猫カフェ」へ行ってみました(*^^)v
ゆうぽうと入り口のエスカレータのところで、一生懸命チラシ入り油とり紙を配っていたんですよ~
猫アレルギーなのに猫が大好きな娘は、すぐさま行く!と決めてましたわ~
で。
公演後、近くのてんやでご飯を済ませ、いざ!ビル7Fにある店内へ。
猫耳をつけたお姉さんに案内され、手洗いを済ませてから着席。
システムは、時間制とのことで、いろんなパックもありました。
食べるところと猫ちゃんたちがいるところは別になっていて、マンションの一室を改装したみたいな店内を行ったり来たりする感じでした。
一応ご飯の後なので、デザートセット(お好きなデザートとお好きなドリンクの組み合わせができる)を2つ頼み、お一人様15分250円とのことで、1時間くらいでいいかな~と思いながら、猫ちゃんたちのいるお部屋へ♪
そのとき、たまたま脱走してきていた猫ちゃん「ちゃるくん」がいたので、「連れて行ってください」と言われ、一緒に猫ちゃんのお部屋に行きました。
(ちゃるくんは、何度でも脱走するらしい…)
お部屋には15匹の猫ちゃんたち!
ほとんどが寝てるzzz
そして、寝ているところに近づいてもびくともしない。
普通だったら、神経質になってそうなものなのに、なんなんだ~!ここの猫ちゃんたちは!
すごく人間を信頼しているのがよくわかりましたよ~
ビビッたり、怒ったり、嫌がったりする猫ちゃんがちっともいない。
皆されるがまま~くらいの勢いで、すっかり落ち着いていました。
途中でスタッフさんに「お食事のご用意ができました」と呼ばれ、食べるお部屋へ戻ってみたら…
うわぉ!美味しそうです♪
ちなみに、注文したのは「レアチーズ」とマンゴーなんとかフロート(忘れた…)、抹茶ラテと「猫ばば」という怪しげなデザート。
「猫ばば」はメニューに写真がのっていない、注文した人だけが見ることの出来るものだそうです。
なので注文してパチリ☆
これが「猫ばば」だ~
肉球が…!!わかります?
いやね、どれも美味しかったです!!
あんまりのんびり食べていると、せっかくの猫タイムが…お金が…と気になったので、とっとと食べて再び猫ちゃんのお部屋へ。
夜の9時におやつタイムがあり、1皿200円で猫のおやつをゲットし、そのお皿を手にするとわらわらと皆寄ってくるではありませんか!
さすがの娘も、「うわ~、きゃ~、まて!」(←それは犬だ…)こんな状態。
襲われていました…(汗)
おやつタイムが終わると、また皆まったり眠りモード。
再びスタッフさんが「内緒ですよ~」といって、時間外のごは~んを持ってきた!
するとまた皆わらわらと集まり、群がり、よじ登り…
すごいパワーだ~
少しばかりエサをもらって、てなづけて、ちょっと元気になった猫ちゃんたちとたくさん遊びました~
↑ この子はチャオくん。
短足でメチャ可愛い~♪
↑ メーちゃんと遊ぶ娘~
↑ 遊びつかれてお休み中~
そして気がつけば1時間半…
その頃には、娘のくしゃみと鼻水が始まっていた!!
やばい、お会計~
と思い、部屋の扉を開けると、あの脱走癖のちゃるくんが、1匹従えて再び脱走!!
聞けば、もう1匹は弟のチュッパくんらしいです。
お兄ちゃんが弟に変な入れ知恵をして困るんですよ~とスタッフさん。
面白すぎます(笑)
帰る準備をしていたら、また別の抜け穴からちゃるくんが!
結局、お会計の後に見送ってもらいました~
このちゃるくん、今度目覚ましテレビの土曜版「めざましどようび」にご出演とか!
8月22日、がんばって起きてみよう。
いや~、猫カフェ、初体験でしたが、楽しかったです~
お台場の「ねこたま」よりもイイと思う☆
猫ちゃんたちがとても人間を好いてくれているのが良いです。
しか~し。
やはり限界は1時間くらいかな~
娘は帰りながら「目が…鼻が…体が…」
と、とてもかゆがっていました…
ああ、娘が不憫でならない~
でも、満足♪
どうやら五反田よりも自宅に近い場所にもあるそうなので、気分転換にまた行ってみようと思います。
あ~、今日は癒されましたわ~
今回の作品は「POWER」。
これは以前から上演されている作品で、四谷区民ホールで公演したときに参加させてもらいました。
当時は歌・ダンス・芝居の3要素が別の作りだったのですが、最近はよくある歌・ダンスで芝居表現が多くなっています。
今回もそうでしたが、一時に比べ歌やダンスに芝居がよく絡んでいたと思いました。
全体的に色々と思うところがあるのですが、やっぱり主演の神谷たえさんの歌声は、とても清らかで、亡くなった恋人とのデュエットソングが素晴らしかったです。
あと、一つ感じたのは、子供たちのパワー。
出番が多くなったかな~、昔より。
そして、ずっとかかわってきた子供たちが大きくなり、舞台をちゃんと引っ張れるようになっていたのがよくわかりました。
今まではたえちゃんの歌が一番!って感じが強かった気がしますが、共に成長した子供たちの力も負けてないです。
彼らの今後に期待します。
☆以下、つぶやき☆
あ~、歌える男性って、ステキだ!!
踊れる男性もステキだ!!!
歌って踊れる子供たちも、全然ポヤンとしてない、ものすごい力を感じられた。
汗が、涙が、遠くからでも感じられた。
そうそう、一人、メチャクチャ歌もダンスも光ってた子がいた!!
彼は凄かった…
まだ小学6年生なのに、どうしてあんな歌声が…!!!
すごいもん、観させてもらえた。
勉強になりました。
昨夜、広島から帰ってきまして、あまりにも良い旅だったので、つい飲みなれないおビールを勢いでのんでしまい、半日ほどくたばってました(^^ゞ
第122回の結果
商簿 11 (11)
会計 13 (11.6)
工簿 11 (10.2)
原計 12 (8.4)
合計 47 (41.3)
というわけで、2度目も不合格となりました。(カッコは東京商工会議所での平均値)
東京での合格率は10.4%だったそうです。
実は初受験の時の結果を恥ずかしすぎて公表していないのですが、比べてみます。
120回の結果
商簿 5
会計 2
工簿 6
原計 11
この前回の日商1級での結果は散々。
唯一原計が足切りでなく、平均よりも上だったのが救いでした。
そして今回の122回、不合格には変わりないですが、前回よりは随分マシになったなぁ~と正直思いました。
今回の工簿・原計は足切りかも…と覚悟していたところもあったので、一体どこで10点以上ゲットできたんだろうと謎が深まりました。
逆に、商会はもうちょっと得点あるかな…と思っていただけに、結構痛いです。
不合格ではありますが、他に得たものがあります。
それは時間短縮。
解答時間の短縮がかなりできました。
間違ってたらダメやん…なのは重々承知ですが、見直して書き留められたことがかなりの進歩でした。
今後益々会計の変化が起きるわけですが、基本を見直し、考え方・理論を考察し、素早く的確なアウトプットがしていけるよう、11月の123回へむけてがんばります。
応援していただいた皆様、改めましてありがとうございました。
3度目の正直になるよう、今回の倍は得点できるよう、がんばります。
では、このあと広島レポを…
とはいかず、地元のお祭りがあるのでそちらに出かけてきます。
その後じっくり~広島の感想をUPします。
広島滞在も、最終日となりました。
最終日は帰りの新幹線まで自由時間。
朝食を少し遅めにいただき、元安橋からフェリーに乗り、宮島へ行ってきました。
10時40分くらいかな、宮島へ到着し、いたるところで見かける鹿に興奮気味の娘。
鹿のふんがスゴイですね。。。
野生だからエサをあげたり、触ったりしないで-とありましたが、鹿があれほど人間を恐れず、むしろ信頼している様子で、なかなか難しいな…と感じました。
この日のこの時間は、ちょうど海に大鳥居が浮かんで見える時間でした。
そこで、少ない時間を有効にすべく、お金を少し払ってガイド船に乗りました。
大鳥居まで移動中。。。
↑と↓の2枚ですが、大鳥居の海側と陸側とで字が違うということを初めて知りました。
海に浮かぶ大鳥居を、間近で見られて感動です。
この鳥居も社殿も、ただ置いてあるだけだというのがスゴイです。。。
大鳥居に感動し、社殿も見学し、お腹が空いたので、名物の穴子飯と焼き牡蠣を食べました~
牡蠣、大好物なのです、ワタクシ。
ワタシに感化されたのか、娘も大好き~
ああ、よだれが…!
広島の牡蠣、最高です☆
また食べたい…
この牡蠣の味にノックアウトの娘は、広島の人と結婚して、広島に住むから~と宣言してました(^^ゞ
広島県民の皆様、あと10年後ぐらいに娘が仲間入りするかもしれませんので~
と、腹を満たした後、再び鹿と戯れ、広島駅に向かいました。
広島駅でお土産を買い、少し時間に余裕があったので、構内のトイレに行く途中、見つけたモノに興味津々の娘。
しばし鉄子ちゃんになってました…
というわけで。
濃厚な3日間を過ごし、新幹線に乗って帰京しました。
広島、とても魅力的な街です。
そして、とても勉強になりました。
やはり、原爆が投下された事実を物語にしてはいけないと痛感。
親子で訪れることに意義があると感じました。
新幹線で約4時間。
日帰りだってできそう。
毎年8月6日には祈りを捧げに訪れたいと思いました。
今度は旦那さんも連れてこなくちゃ。
旦那さんも牡蠣大好きなので(あ?もちろん、それだけじゃないけど~)
ちなみに。
帰りの日の都内は、ゲリラ豪雨だったそうですが、何故か出会いませんでした。
すっかり降った後に東京駅に到着。
外も傘要らずで歩けました。
なんだか守られた…ような。
以上、報告を終わります。
また行きます、ヒロシマへ。
きっと。
その前に、次は長崎。。。かな。
長崎も修学旅行で行ったきりです。
長崎は、恩師であるKIDの演出家・東由多加が眠っています。
長崎にも行くことを考えなくちゃ。
では~
8月6日。
朝が早かった…
5時に起床し、朝食を食べ、6時40分にはホテルを出発しました。
7時ごろに平和記念式典の会場へ到着しましたが、もっと早くから祈りを捧げに来られた方々がたくさんいらっしゃいました。
席に一旦着席し、開始までの空き時間で献花を行い、再び席で待機。
8月6日はいつもなら朝から照りつける太陽の下、式典が行われることが多く、知人友人から「かなり暑いから、覚悟しておいたほうが…」と教えてもらっていたのですが、今年は朝から曇天。
時折小雨がパラつき、涼しい風が通り抜ける、といった感じでした。
待っている間、頭上にトンボが数匹。
式典に参加するかのように、どこに止まるでもなく、ウロウロとしていました。
式典が始まり、平和宣言や、子供たちの宣言を聞き、悲しいのか怒りなのかわからないものがこみ上げ、涙をしきりにこらえてました。
8時15分、黙祷。
静寂…ではなく、どこからか聞こえてくる反核運動の方たちの叫び声が、魂を鎮めるどころか騒がしてるように感じられ、被爆者の会の方から「当日は静かにして欲しい、そっとして欲しいのが本音なんだ」と言われたことを思い出してました。
せめてこの時間だけは、せめてこの日だけは…と、思わずにいられませんでした。
その後、時の首相が挨拶をはじめると、中高生を始め、大人までもが立ち上がり、手にしているカメラでバシャバシャ撮っているではありませんか。
何しに来たんでしょう、この人たち。
首相に会いに来たんでしょうか。
引率の学校の先生までもがカメラを持って立ち上がっていたので、思わずにらみつけてしまいました。
ワタシはこういう行為が許せません。
だって、おかしくないですか?
ワタシは娘に、「こういう大人にはなってくれるな、頼む」とだけこそっと伝えました。
式典では様々な人たちがおしぼりを配ったり、お水を用意したりと、世界各国から集った方々に対しての気配りをされていました。
心より感謝いたします。
なんとも複雑な思いを胸に、その後は被爆者の会の主催する「献花・献水式」に参列するため移動。
←移動する時に通った、記念碑横の献花。
←世界から原爆がなくなるまで燃え続ける炎。
献花・献水式では全国各地から団体が集い、花や水を捧げ、千羽鶴を捧げ、祈りました。
その後、一路ホテルへ。
ホテルの会議室で、被爆者の会の会長から、直々に被爆体験を語っていただきました。
それはまるで「はだしのゲン」そのもの。
地獄絵巻は、本当にあったのだ…と。
水、水、と合唱のように聞こえ、被爆した当日の夜は眠れなかったと。
求められては水をあげ、水を飲んだら死んでいく、その繰り返しだった…と。
時折、目に涙を浮かべ、死体がゴロゴロしている傍で、もらった握り飯を平然と食べられる、そんな精神状態だった…と。
死体の塊の中で真っ黒な細い腕がユラユラ伸びていて、その黒い腕が自分を追いかけてくるような悪夢を何年も何年も見続けたと。
その体験を最初は語ることがイヤで、思い出すのもイヤだったが、語っていくことのできる最後の世代だぞ、と諭され、思い切って語り継いでいくことにしたと。
しばらく元気に過ごしたが、数年前に胃ガンになり、手術をして今なお生きているんだと。
家族も皆ガンにかかり、原爆の被害は終わっていないんだと。
涙せずにはいられませんでした。
小学生の頃、何度か被爆者の方や戦争体験のお話を聞く機会がありましたが、今はそれを語る人が少なくなっています。
思い出すのもイヤになる、そんな体験を赤裸々に語っていただき、ワタシ達が今度は語り部にならなくてはいけないんだと、新たに心に誓いました。
その後、昼食をとり、再び平和記念公園へ。
記念碑めぐりをしました。
折鶴…といえば、原爆の子の像。
わずか2歳で被爆し、めだった外傷もなかったのに、白血病を患い、12歳でこの世を去った佐々木貞子さんの像です。
←碑めぐりの途中で撮影した、原爆ドーム。
その後、被爆者たちの遺骨が納骨してある原爆供養塔へ行き、そこで「この平和記念公園の下には、まだ骨が埋まっているんですよ、その上を、ワタシ達は歩いているんです」と教えられました。
衝撃でした…。
その後、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ。
そこでは、様々な方々の体験を聞くことができるようになっていました。
その後少しの間自由行動になり、夕方、とうろう流しへ。
色とりどりの手作りとうろうには、平和への願い、誓い、祈りが書かれ、川に流されていきます。
その後解散となり、夜になるまで商店街をブラブラし、再び元安橋付近へ行きました。
夜はうまく画像が取れなかったためUPしませんが、川でのライブの歌声の中、静かにとうろうが燃えながら川を流れていました。
その元安橋付近で、高校生かな、影絵の展示をしていました。
娘が食い入るように見ていました。
思わず、その様子に声をかける、見知らぬおばさま。
何かを感じたんでしょうね。
娘も、おばさまも。
早朝からの長時間、親子ですっかりバテました。
これで2日目が終わりです。
次は3日目、最終日です。
今回の旅は、居住区の企画「広島平和派遣事業」に親子で参加するというものです。
なので、他にも親子が6組。
男の子が多かったかな~
メインは広島平和記念式典への参列、被爆者体験講話、各資料館視察です。
1日目
東京を新幹線で午前8時10分に出発し、午後、広島に到着。
小学生時代に修学旅行で訪れて以来23年ぶりの広島です。
広島駅から路面電車に乗ってホテルの最寄駅まで移動。
路面電車は知ってましたが、こんなに生活に密着していたんだ…と改めて感じました。
東京じゃ、都電ぐらいしかないからなぁ~
都電が近場になければ、ホントに無縁のモノ。
娘よりもワタシが興奮気味でした(^^ゞ
さて。
ホテルに荷物を置き、昼食後、原爆被爆者の会の方の案内で、まずは袋町小学校平和資料館へ。
この小学校は、被爆当時では珍しく鉄筋コンクリート造りの建物で、有名な原爆ドームと共に残った建物でした。
被爆した人たちが、ここの壁に伝言を書き残していたのですが、授業開始に伴い塗り替えられ、建替えの時に伝言が発見されたため、一部を資料館として残しているそうです。
その後、爆心地と言われる「島医院」(現:島外科)を通り、爆心地からすぐの墓地の墓石を触らせてもらい、光を受けたところは焼けてボコボコになっているが、陰になっているところはツルツルしている、という違いを知りました。
その足で、平和記念公園の原爆ドームへ。
この建物は、元は広島県物産陳列館だったそうです。
23年ぶりに見る原爆ドームは、保存の為の修復・補強がされており、後世に伝える為になんとか残しておきたいという思いが感じられました。
娘と共に来ることができ、娘にも次の世代へ語りついで欲しいと願いました。
その後、相生橋を通り、「はだしのゲン」のゲンが通っていた小学校・本川小学校平和資料館へ行きました。
なお、相生橋の形が独特で、T字型の橋だった為、原爆投下の目印になったとされています。
本川小学校平和資料館では、被爆した時の物が展示されていますが、以前、広島平和記念資料館に展示されていた「被爆時の市内パノラマ模型」があります。
それを見た瞬間、修学旅行で見たことを思い出しました。
本川小学校では地下に設置されており、なんともいえない地下のにおいに包まれ、なんともいえない気持ちになりました。
その後、広島平和記念資料館へ。
23年前に比べ、資料館の中はしっかり整理され、展示が見やすくなっていたと感じました。
小学生のときはしっかり見ることができなかったろう人形や、焼けて焦げた体の写真、指先を焼けただれてなくした後も黒く伸び続けた爪、など、大人だからこそしっかり目を見開いて、心に刻むことができました。
娘はワタシが訪れた時よりも1学年下ですが、当時のワタシよりもしっかりしているのか、惨状に目を背けることなく、解説を読み、しっかりと心に刻んでいたように思います。
夜は広島のお友達と出会い、夕ご飯を食べました。
←このお店に出没しました~
このお友達、簿記仲間でして、実はお会いするのが初めて☆
でも、とても初めてお会いしたとは思えないくらい、ざっくばらんにお話できて、朝からの緊張を解きほぐす、良いひと時を過ごすことができました。
ここまでで1日目なんだけど…
このままだとなが~くなりそうなので、分割します。
では、2日目は次回へ。。。
先日、子宮頸ガンの手術を受けた友達に会いに行ってきました。
ちょうど休日ということもあり、ご主人が赤ちゃんを連れて来ていました。
友達はイスに腰掛け、赤ちゃんがベッドでお休み中~
ぬおお!なんて可愛いんだぁ~♪
1時間ちょっとの面会中、赤ちゃんのオムツ替えを久しぶりに経験したり、泣いたら抱っこしてあやしたりしながらお話しました。
友達曰く
「やっぱり、考えたよ、自分がいなくなったときのこと…」
でも、新しい命を前に、しっかり生き抜く決意をしているのがよくわかりました。
しかも、なんとか母乳を…と考えているようで、なるべく投薬の量を最低限にしているみたいでした。
母は強いです。
術後の様子は痛々しく、元気そうな体には管が数本刺さってました。
尿を膀胱から直接排出する為の管でした。
明日はその管を抜いて、様子をみるそうです。
便も思うように出ていないらしく、看護師さんと相談していました。
そう考えると、自分が娘を出産した時も、会陰切開をしてあったにもかかわらず、いきみ過ぎて奥のほうまで裂けてしまったため、産後はトイレやお風呂がいやになったなぁ~と思い出しました。
下の方の痛みって、イヤなんですよ、本当に。
まして、彼女は2度もお腹を切り開き、踏ん張りたくても踏ん張れないし、子宮全摘出ということで、隣接する内蔵などが今までのように機能しづらくなるそうです。
彼女の生きる闘いは、これからが本番です。
何かあれば、力になってあげたいと思いました。
そして。
話は変わりますが、来月の広島平和記念式典に、娘と一緒に参加することになりました。
住んでいる区の平和記念事業という企画に作文を書いて応募し、見事当選☆
7組の親子で、区を代表して参列してきます。
今年は娘を広島に連れて行こうと思っていたので、とてもありがたいです。
小学生の内に、一度は連れて行きたいと思っていたので。
娘にとって、命とは何か…を考えるきっかけになって欲しいと願うばかりです。
今年の夏のテーマは、まさに「命」。
新しい命、その命を守る命、人間の欲やエゴのために犠牲になった命、生き抜こうとする命。
未来を生きていく子供たちのために、教えていく責任が大人にはあると思います。
静かに、熱い、夏になりそうです。
ワタシより一つ上の彼女は、バイトから社員になって、店長をやってた。
そんな彼女から、突然の電話。
なんかあったの~?と聞くと、
「うん、あのね、先月、子供産んだんだ~」
おお!めでたいやん!!
いつのまに~!
良かったね~
おめでとう~
と喜んでいたのもつかの間、
「でね、明日、手術するんだ…」
?誰が?
「ワタシ…」
??なんで??
「あのね、ワタシ、癌なんだ…」
衝撃。
一瞬戸惑ったが、聞けば子宮頸がんで、ステージ2とのこと。
最初に癌がわかって、そのすぐ後妊娠がわかって、と。
出産してから手術することを選んだから、癌が進行してしまったのだと。
…
彼女の生き抜く強さは知っている。
だから、直感的に、絶対大丈夫と、強く強く確信した。
そのまま、ストレートに伝えた。
子供を授かって産んで、母親になったのだから、母は強いんだから、絶対負けないから、大丈夫。
今までの人生を総投入して、絶対克服できる。
また、その生き抜く想いが、病魔と闘うパワーになる。
彼女は、絶対、大丈夫。
そんなことを語りつつ、昔の職場の話とか、あの人はどうしてるだとか、いろいろ話してるうちに、二人してゲラゲラ笑ってて、デキ婚でもうまく仲良し夫婦になる方法を伝授し(笑)、なんか笑うような状況じゃないんだけどね~なんていわれつつ、精一杯彼女を励ました。
これはもう、彼女のために祈ってあげるしかない。
ワタシには、話を聞いてあげることと、祈ってあげることしかできないから。
で。
術後にお見舞いに行く約束をした。
子宮全摘出とのこと、あまり笑わせられないなぁ~なんて思いつつ。
彼女は酒もタバコも愛してやまない人。
すっかり回復したら、一緒に一杯飲む約束もして電話を切った。
同じ世代、そして身近な存在が、癌と闘っている。
どうか最後まで闘い抜いて欲しい。
そう願わずにはいられない。
ごあいさつ
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